凪(なぎ)を求めて

居宅で介護サービスを受けている要介護者の家族によるブログ

「嫌ならケアマネを変えろ」という言い回しが免罪符になっていないか?

利用者側からみて「困ったちゃん」なケアマネについて、ネット上で相談が書き込まれると、たいていの場合「嫌ならケアマネを変えればいい」というレスがつく。
もちろん善意でそのように教えてくれる人も多いのだろうが、特に同業者からのレスの場合、一種の開き直りに見える場合がある。
「嫌ならケアマネを変えればいい」という言い回しは、利用者側に責任をすべて押し付けるための、介護業界にとっての免罪符になっていないだろうか。

そもそも利用者側は、本当にケアマネ(の所属する居宅介護支援事業所)を自由に選べる環境にあるといえるだろうか?
どこにどんな名前の事業所があって、何人くらいケアマネが所属しているかくらいは、行政が公表しているデータを見れば把握できるけれど、逆に言うと利用者側にはたったそれだけしか情報が事前に与えられていないのである。
今時、街の診療所でさえ、ホームページを開くなどして積極的に広告を打つ時代である。まだ医療のほうが、どんな医者が地域にあるのか、把握しやすいのではなかろうか。それに比べると、介護はじつに立ち遅れていると言わざるを得ない。