凪(なぎ)を求めて

居宅で介護サービスを受けている要介護者の家族によるブログ

介護における「利用者のため」という言葉の偽善性

私はこれまで、介護業者による理不尽をいくつか目の当たりにしてきた。

そのいずれにおいても、何かにつけて「それが利用者のためなのだから」という言い訳が、時には暗に、時にはハッキリと、水戸黄門の印籠のように使われてきたのだが、それは何のことはない、利用者本位という体裁をとりながら、その実、業者自身のいいように利用者とその家族を動かすための言葉にすぎないのだ。
結局のところ、介護は商売なので、業者はウマミの大きなところには飛びつくし、逆にウマミの少ないところは避けたがるのだが、いつもそれらを正当化するのに使われるのが「利用者のため」という魔法の言葉なわけだ。

「利用者のため」「利用者のため」と簡単に言うけれど、介護業界というきわめて視野の狭い閉鎖的な社会では、最終的に何が利用者の利益かを決めるのは、ケアマネであるかのような通念がまかり通っている。介護のことは業者自身が一番よくわかっているかのように業者は思っている。
しかしそれは大間違いである。
何十年という単位で生活を共にしてきている我々家族以上に、たかだかほんのちょっと関わっただけの介護の連中に、何がわかるというのか?
我が家の介護のことは我が家が決める。こんな当たり前のことを、介護の連中はさせないつもりなのか。

思い上がりもいい加減にしろと、全ての介護事業者に言いたい。